Road to ベトナムオフショア開発管理者_Kiaisoft_Huyさん編

Y_DTH 2023/01/11

上記は自分のDivisonの若いメンバーに対するNguyễn Minh Huy課長の方向性です。任命されてたった6ヶ月にも関わらず、色々な成績が取得できました。今日、課長への道のりと今後の方向性について、インタビューしましょう!


Huy課長、こんにちは!インタビュー受けていただき、光栄です。少し自己紹介をお願いできますか?

みなさん、こんにちは。Huyと申します。第二開発本部のマネージャーです。以前、ハノイ工科大学のIT課でHEDSPIという日越両政府の協力プロジェクトを勉強していました。卒業して、2年間GMOランシステム株式会社で勤務していました。その後、新たな挑戦を求めて、日本でのGMOインターネットグループ株式会社に入社する事に決めました。GMOで働くのは合計9年間となり、色んな経験を培ってきました。




HEDSPI プログラムを申し込んだきっかけについて、お伺いしてもよろしいでしょうか。

現在世界中でIT技術が急速に発展し、その技術を活用した製品・サービスは大きな広がりを見せています。しかし、高齢化社会のため、日本ではIT技術者不足に直面しています。(経済産業省によりますと、2020年には不足の人材は30万人となっているそうです(記事)。


そこで、ベトナムのオフショア開発サービスを利用することが、解決策のひとつであり多くの日本企業が利用してもいます。このサービスの目的は、コスト削減、日本でのIT人材不足を補うために、ベトナムのような若い人材が豊富な国の人材の活用、システム品質の向上が目的といえます。その上、多くの大学でIT専攻の大学生に日本語を教えるコースを導入しているおかげで、卒業後、東京や大阪など日系企業ですぐ働くことができます。


その機会を捉えて、ハノイ工科大学で HEDSPI プログラムを学びました。 HEDSPIは日本政府とベトナム政府の協力プロジェクトであり、HEDSPI プロジェクトの目的は、日本の IT エンジニアの基準に基づいて、IT専攻の大学生を教育するのです。


では、日本に行く決心をした理由は何でしょうか?日本で働く間、何を達成したと思いますか?

大学時代から日本語や日本文化を勉強してきましたが、日本に住んだことも実践経験したこともないので、最初は大変でした!

日本人は製品の完成度を100%まで常に要求します。それに加えて、日本人のチームワーク、報告、連絡、相談(報連相)のスキルも世界中で有名です!


C#開発者の立場から、日本語が得意ではありませんが、GMOジャパンで7年間頑張った末に、GMOジャパンで最初は10名のチームリーダーから、最終的にプロジェクトのマネージャーまで任命されました!

直接お客様と接する仕事をしているうちに、日本語もどんどん上達してきて、N1試験で目標よりもずっと高い点数を取得できました。(笑)



ベトナムに戻ってきた理由は何ですか? 


海外に行った目標は、経験を積むこと、自分自身を成長させること、自分のキャリアを発展させること、機会を見つけることでした。 7年前、若い頃の熱意で日本に行き、日本、日本の働き方、先進国での経験が好きで、挑戦したいと思い、日本に行くことを決めました。

人生から仕事まで多くのことを学べ、自分で問題を解決する方法を身につきましたので正しい決断だったと感じています。 大変な時期もありましたが、最後までやり抜くことができました。 徐々に仕事に慣れ、専門的スキルとソフトスキル(チームワークスキル、コミュニケーションレポート、ディスカッション、管理)の両方で大きな進歩を遂げました。

基本的に帰国前の生活は完璧でした。仕事は安定しており、子供は日本の環境に触れていてお金持ちなっていないのですがちょっと余裕でした。

その時こそ7年前と同じように思いました。 このままだと挑戦する機会がないし、慣れすぎて成長できない。

当時の生活はとても良かったのですが、それでも何かが足りないと感じていました。 長い間考えた結果、日本で学んだことをベトナムで活かすために、新しい挑戦、自分自身の変化、30代の生きがいを見つけるためにベトナムに戻ることにしました!

大学時代の友人であり、Kiai の CEO である Dien に会って話したら、二人の間にある共通点が見えてきました。 それがプロフェッショナルな企業のイメージであり、若者が成長するのに理想的な環境です。 10年働いたところで、若者が挑戦し、経験し、潜在能力を発揮できるようにシェアリング環境を作りたいという願望を持っています。 ディエンさんと話した後、とても興味を持ったので、家に帰ることにしました。

→ 安全ゾーンを出てベトナムに戻る。

(でも今振り返ってみると、安全だと思っていたが、実は危険な安閑だった!)


帰国後、ベトナムは日本より大変だったり、面白かったりしますか?

生活環境について、日本に長く住んでいるので、ベトナムに戻ると慣れるまで時間がかかる人もいますが、とても親しみを感じ、いつもベトナムに帰ってきたいと思っています。順応性と統合性が強いからなのかな(笑)

日本は交通が便利で渋滞もなく、毎日電車で通勤しました。ベトナムに帰ってもバイク通勤に徐々に慣れ、冬は少し寒いですが厚手のシャツを着るので問題ないですよ(笑)


作業環境について、大きな変化を感じます。 日本では、長く働いていても同僚や顧客が少なく、コロナ禍で人と人とが交流する機会があまりありません。ベトナムには元気な若者が多く、私より5歳年下、10歳年下の方もいますが、世代間ギャップはなく、仕事も生活もすべてを分かち合っています。

彼らと一緒に仕事をすればするほど、若く感じます。若い人たちは多くの情報源を持っているので、とても機敏で創造的です!

ベトナムに戻るという決断は賢明な決断だと思います。


課長という立場ですが、Kiaiでの日々の仕事はいかがですか?

仕事を始める前に、コーヒーを淹れてから、プロジェクトのリストを見て、これだけを考えたらやばい! こんなにリラックスしてコーヒーが飲めるのも、職場にはたくさんのチームメイトがそばにいるから。 私の任務は、若者が最大限の可能性を発揮できるようにサポートし、環境を整えることです。 (そして彼らの任務は、私に一杯のコーヒーを飲む時間をもたらすことです笑)

一杯のコーヒーと打ち明けた後、私は正式に働き始めました。

私が担当するプロジェクトから始めて、プロジェクトの情報を一瞬で読み取って処理する必要があります。

今の私はプロジェクト情報の管理は、メンバーがいつもうまく作業しているが今日はそうではない理由を理解するほど難しくないと感じます。 私が一番難しいと思う問題は人間の問題です。 たとえば、開発者、テスター、コムターの皆さん、普段は明るいのに、今日は笑っていないか? ある時は家族、ある時は愛(笑)… 人を管理する、人のモチベーションを管理するのは本当に難しい。数字の管理はもはや難しいことではありません。なぜなら数字は固定だからです。毎日新しいものをもたらすのは人間です。

そう思って座っていたら、今日は会議が 3 つか 4 つあることを思い出したので、会議の準備をします。

日々の仕事は、チームリーダー、PM 達をサポートすることです。 1週間、部門会議があり、PM、チームリーダーがプロジェクトの状況を報告し、全員が部門の一般的な問題、採用問題、今後のイベントなどについて話し合います。たとえば、ベトナムは現在新年を迎える準備をしているので、私の部門も準備をしています。ガラディナーYEAR ENDパーティーの準備のためのミュージカルパフォーマンス - よさこいダンス!

ある良い日、プロジェクトで問題が発生すると、放っておけず、分析と処理に飛び込む必要があります。 若い人たちの緊張を見て、私は何年も前の自分を思い出します。彼らは私と同じように高い責任を持つこそ心配になります。一人で困難を乗り越えてきた私は若者達が、いつもそばにサポートする人いることを知り、冷静に困難を乗り越えられるように手助けしたいと今は強く願っています。

すべての問題を解決したら、あっという間に一日が終わります。 

会社に卓球台があるので作業後同僚と一緒にします!

それらの活動を一緒にすることで、人々はお互いをよりよく知ることができます。

Kiaiでの毎日が新鮮です!



正式に設立されてから 6 か月が経過しましたが、Div 2 はどのようにして文化・活動を作り上げたのですか?

現在、読書クラブ、日本語学習クラブ、AWS学習クラブがあります。

こんなにオープンな環境は初めてだったので、自習しなければなりませんでした。 現在の若者は非常に熱心に学習していると感じています。

私のような老人として、Kiaiの若々しい環境に溶け込んでいると、勉強、成長、変えたいという欲求を再び感じることができます.

このシェアリングの学習活動がますます大きくなり、全社員の成長に貢献し、Kiai200、300 の目標を達成するのに役立つことを願っています。

勉強の傍らスポーツ活動も活発で、毎週日曜日の午後はバドミントンクラブがあり、毎週水曜日の夜はサッカークラブがあり、25~30人が参加しています。 参加して、7人ずつ3チームに分かれて約1.5時間競い合いましょう!

また、会社で活動する卓球クラブもあります。

誰もが参加することに興奮していました。



現在のお客様はいかがですか?

以前と比べると、長い間 1 人か 2 人の忠実な顧客としか仕事をしていませんでしたが、現在は 部長で、より多くの顧客、より多くのプロジェクト ラインに対処する必要があります。

現在、私の部門では、広告、不動産、ソーシャル ネットワーク、M&A、建設業界のクライアントとのプロジェクトを行っています。


多くの言語、php、python、ruby、c#、swift、kotlin などの多様なフレームワークでのプログラミングです。

お客様一人一人の個性があり、とても興味深いです。

お客様もよくベトナムに遊びに来てくださるので、接客に行くことも多いのですが、これも初めての経験でとても面白いです! 普段はビデオでのお客様とのMTGだけですが、お互いに顔を合わせたほうが信頼感があって楽しいですよね!


短期間だけお付き合いいただいたお客様(社内で開発を終えてそのままお仕事を続けるお客様)もあれば、創業初日からお付き合いいただいているお客様もいらっしゃいます。


 

新しい管理職として、自分の部門をどのようにしたいですか?

部門スローガン:賢くて強い

スローガンの意味も、私の目指す方向性です。生活と仕事部門の皆様には、心身ともに健康でありながら、常に上手に状況管理を行っていきたいと願っております。

将来的には事業部の育成にも挑戦したいと思っています。

分かち合いの精神を高め、人生で互いに助け合い、強い精神で賢く働くことを願っています。

将来的には、自分の部門をより強力なものに発展させたいとも考えています。 2023年に一気に70人規模に増員するように、会社の目標であるKiai200、Kiai300に貢献していきましょう。

分かち合いの精神を高め、人生で互いに助け合い、強い精神で賢く働くことを願っています。



インタビューしていただきありがとうございます。これから第二開発本部を牽引し、Kiaiが更なる発展に尽力し、日本市場向けの一流のオフショア会社となるよう、ご健康をお祈り申し上げます。